3ピースロックバンド
一切構成を考えず、なんとなくブログを書き始めた。
はち切れんばかりに胸に詰まった言葉たちは、文字として打ってしまうのが、僕には一番合ってると思ったから。
文字を打ってる間も胸のざわめきはいっさい鳴り止まない。
だけど不思議と涙は出てこなくて、まだ脳が情報処理に追いついてないのか(あるいは自衛反応で脳が情報を処理させないようにしているのか)、自分の気持ちなのに、人ごとのように冷静に分析してしまっている。
続いていくというのは奇跡の連続とはよく言うし、そのことを常々頭の片隅に置いて、唐突な発表への対策は万全を期しているつもりだ。
だけど、まぁ、ねぇ。
やっぱりいくら心構えをしようが、ぶったまげるもんはぶったまげるし、かなりくらってしまうよ。
はてさてどうしたもんか。
2026.04.27
大好きなバンドからドラムが脱退して、バンド自体も活動を休止することが発表された。
土日はARABAKI ROCK FEST.26に参加し、今日(ブログを書いてる間に昨日になってしまった)は完全休養日。
アラバキの感想は本稿の趣旨とはまったくかけ離れているから割愛をするけれど、それはもう今年も本当にいいライブだったよ。
(おそらく)お世辞抜きで「アラバキは特別」と言ってくれるアーティスは少なくないし、僕も本当にそう思う。
音楽っていいな楽しいなと毎年心から思えるよ。みんなも行くといいよ。
閑話休題。
20時ごろに友達から、彼らが活休する旨のライン通知が届いた。
その時は家族と外食中で、詳細を確認することを控えていたけれど、いざ詳細を見て愕然した。
ここ最近のバンドの動向から、活休はある程度覚悟をしていたけど、その遥か斜め上をいく発表だったから。
バンドから誰かが欠けることは決してなく、そうせざるを得ない状況になったら、解散を選択するバンドだと思っていたから。
半ば空中分解とも捉えられる、その発表内容を読み進めるにつれて、心臓がぎゅうと絞られていくかのように、息苦しさが増していった。
Twitter上のみんな(主語がでかい)も言及していたけれど、ベースとドラムの仲の悪さはライブ中でも確認できるほどに、ここ最近は悪化していたように思える。
僕も参加した、前ツアーの水戸公演は特にそれが顕著だった。
ベースがドラムを煽りに向かっても、ドラムはそこに誰も存在していないかのように完全無視を決め込み、ライブ中は終ぞ一度も目を合わせることはなかった。
というか、ライブを通して終始元気がないように感じた。
そのせいもあってか、とにかく本当にライブが酷かった。
曲間をシームレスで繋げるなどして、瞬く間の90分間の音楽体験を提供してくれる、普段の彼らの唯一無二なライブは影をひそめて、
一曲一曲が完全にぶつ切りのように感じて、ライブ中に腕時計を確認する瞬間が何度もあった。
盛り上がるはずの終盤のシャンデリア・ワルツや本編ラストのcrazy birthdayも、とってつけたような感覚を覚えてしまい一切ノリきれずに、終演後は、(え、大丈夫????)と、かなり不安を覚えた。
基本的にライブは1人で参加して1人で帰る派なのだけれど、あの日は帰り道に偶然会った旧知の友達に声をかけて久しぶりに飲みに行った。
(最初は3人だったのに、いつのまにか8人の大所帯になっていた。物好きたちはひかれ合う)
その会がライブの悪口大会になったのは言うまでもないし、本当にバンドの状態大丈夫?とみんな心配をしていた。
長く彼らのライブに参加していた人ほど、違和感を強く抱いてしまったのだと思う。
少しの綻びがライブ全体にまで波及して、決壊してしまう。
それほどまでに彼らのライブは、3人の圧倒的な技術と絶妙なバランス感覚の元、高が高く積み上げられたジェンガのように精密に構成されていた。
ボーカルのブログを読んだ。
ベースのブログを読んだ。
ドラムのTwitterを見た。
音楽は、ロックバンドは、今日も息をするのだろうけど、その呼吸が決して楽なものばかりではないということを、痛々しいほどに感じた。
個人の矜持とロックバンドの矜持を両立することの難しさを生々しいほどに感じた。
身や精神をこのまま削り続け、取り返しがつかなくなってしまう前に、今回の選択をしてくれて良かったとも思えた。
赤裸々に思いを伝えてくれてありがとう。
あなたたちが紡いだ言葉は、今までもこれからも本当に僕の救いだよ。
少し早いけれど、一旦お疲れ様でした。
最後に、
さよならの機会を与えてくれて、本当にありがとうございます。
2026.0715、世界で一番愛している3ピースロックバンドに絶対に会いに行きます。